※愚痴ですのでお気をつけてください。
ダンナのブログより。
【現在の家庭における自分の価値】
わからない。家族から見たらもしかすると「お金を稼いでくる人」以上の価値は何もないのかもしれない。こと家族とのアクティビティに関してはコミュニティに依存したいという気持ちと、他人は他人だから我が道を行きたいという気持ちが錯綜している。ところがそんなことは余計なお世話だったのかもしれない。そうなると自分には、お金を稼いでくる以上の価値は何も無い。病気によってそれもできなくなってしまえばただのゴミなのだ。
現在、おんぶにだっこでダンナに養ってもらっている以上ナニも言えないが、今まで何年もパパの病気と付き合って耐えてきた私がパパに対しての価値をその程度のものにしか見ていないと思われているのかと思うと酷く絶望した。
私が死んでやったら彼の肩の荷はおりるのだろうか。
しかし、残念ながら死んでやることはできない。
気分が落ちて自分のことしか考えられなくなっている人に何をどうこう述べても心には届かないだろう。
とりあえず、私も絶望した。
今はそれだけだ。
ああ。。。
なんか身につまされますよ。
でも旦那様のブログに書いてあることが非常に抽象的なので、もしかすると本当に言いたいことが、あなたには伝わっていないかもしれない。というか、ご自分でも言いたいことを言いきれていないかもしれません。できれば文字を介さず向き合って話せるとよいと思いますが。。。今は難しいかなあ。
病気があると、大抵こちらは気兼ねして、これは言わないでおこう、黙って我慢しとこう、とかあると思いますが、それは案外向こうも同じみたいです。気兼ねでなくとも、病気してることに引け目なり割り切れなさなりがあって、自分の言いたいことが上手く言えないってことも、あるみたい。
でもそれで維持されている関係というのは不安定極まるものだし、ずっとそのままでいるほうが、実は難しいと思う。
少し時間が経ってから、「私はこう思った」と伝えてみては。。。
赤林檎さん>
いつもご助言、ご心配ありがとうございます。
そうか、これは抽象的な文章だったのか。
私はおもいっきり直球で捉えてたんだけど。
頭のいい人の文章ってわかりにくいね。www
おバカな私にもわかる文章で書いてくれないと!@@;
うちもねぇ、同じようなことは言うよ。
でもだからって私が働いたらそれで気が済むようなことでもないし…てか旦那が鬱で病休中、働いてサポートというのは経験済みなわけで、要するに本人の心の問題に無意識に巻き込もうとしてしまうのかなあと我が家の場合は思う。
きりんさんとこも以前、お医者さんに切り離して考えた?ほうがいいと言われていたのはそのへんじゃないのかな。違うと感じるならゴメンね。
よく言われる供依存てのがあるけど、それってそんなに悪いことなのか、もしくはそこから何が何でも解き放たれるべきものなのかどう判断したらいいのか難しい。自分たちが供依存に陥ってるのか、今のこの悪い空気は夫婦としてのパートナーシップの一環なのか、判断がつかなくなってるっつうか。
うちの旦那も喘息出て具合悪くなると鬱モードも入って、もう意味不明だよ。
どれだけ付き合ってくれるか試されてるようにしか感じれなくなってきたわ(苦笑)
でぉんさん>
いつもご心配、ご助言ありがとうございます。
まぁ、たぶん、私はダンナに依存してるんだと思うけど、ダンナのほうはどうかな。
ダンナには外の世界があるからね。
つっても、私も社会人として外に出ていた時、誰かに依存しなかったか?といえば違う。
やっぱり依存して生きていたなーと思うから、性格的なものもあるのかな。
夫婦間の関係に限らず、人間関係って割りと駆け引き的なところがあるからね。w
まぁ、なんだかんだと問題がありながらも、死ぬときは「ありがとう」と言える・言われる関係でありたいとは思うよね。
補足を書いたので読んでください。
http://klavier.jp/blog/2010/11/19/20802/
うずらん>
読んだ。
>何も言われないことのほうがプレッシャーになることもあるのだ。
じゃあ、言おう。
ジュース飲んだら缶は缶のゴミ箱に。
お菓子食べたらゴミはゴミ箱に。
「水をかえて」って頼んだら、頼まれた水替えだけじゃなく、水が入っていたダンボールを潰すくらいはしてほしい。
料理や洗濯、掃除などは主婦がいるんだから無理してやることはない。
人間はどうしたってゴミにはなれないよ。
ゴミのような人間という言葉があっても、それでも誰かとどこかで繋がっていて、生きていてくれるだけでイイと思われているかもしれない。
脳死状態の人がいたとして、家族はその人が生きていてくれるだけで、生きる糧になることもある。
経済的には負担だろうし、脳死状態の本人が意思を持っているとすれば「死なせてくれ」って思っちゃうかもしれないけれども。
今は脳死になった場合、家族は臓器移植の選択を迫られることになったりして、悩むんだろうね。
移植承諾を決断した場合でも、やっぱりその人の内蔵の一部が生きて誰かの役に立てばって思うからだろうし。
まー、生きていくにはお金は必要だってのは避けられない事実だよねぇ。
綺麗事並べてるだけじゃあ生きていけない。
困ったもんだ。ヾ(´ー`)ノ
なんとなく言いたいことはわかるぞ。
俺も夕方の仕事をはじめてから、仕事してちょっとパソコンして寝る、なんての繰り返してると、何だかそんな気分になることはある。
ちゃぼさん>
とりあえず、ちゃぼさんはねずみ駆除を継続して頑張るのだ!www
奥さんに安眠を。
いろいろメンタルの事も経験しているので
両方の言う事がわかります。
言いたい事を言うだけじゃ傷つけるだけだけど、
気を使い過ぎて言わないのも傷つけるんだよね。
病気の人は・・・
病気のせいで気力もやる気もなくなって何もできなくなると
何もしてない自分に怒りを感じ、自己嫌悪になります。
そうなると悪い方向へ考えが進み、
発言も ほんとはこう言えばよかったのに ひとひねり入れてみたくなったりね。
周りの人は・・・
心配のあまり、相手の全ての行動と言葉を真に受けてしまい、
そこからいろいろと思いが頭の中をぐるぐるしてしまう。
その連鎖がさらに悪影響を及ぼす。
おそらくお二人ともこういう波に、時々弄ばれるのでしょう。
うずらくんも補足を書いてくれてよかったです。
不安定なときは誰でも言葉が足りなくなります。
しかも足りないのが、大事な言葉だったりします。
誤解しなくてもいいところで誤解が生まれると、
本当ならしなくてよかったけんかやいざこざが発生するからね。
とはいっても、たぶんこれからもそういう事がまたおこると思うので
そのときはまた補足したり、もうちょっと噛み砕いた的を得た言い方をして乗り越えて下さい。
だからこうしてわからない事や不満をブログに書く事も必要なんだね
そらまめさん>
忙しいのに気にかけてくれて、メールやらコメやら、いつも本当にあたたかいお言葉をありがとうございます。
ホントにね、これから何度こういうことが続いていくんだろう。
うまい具合に乗り越えていけるといいんだけど~。
たまにみなさんのコメを見返しながら、話し合うなり自分の中で消化するなりしていけるようになるといいな。
なにぶん私には言葉が足りなすぎる。w